"Dはまた必ず嵐を呼ぶ”とはどういう意味なのか

「”Dはまた必ず嵐を呼ぶ”」ローは2回この台詞を使っています。
一度目は頂上戦争でルフィを助けた時、二度目はドフラミンゴにやられルフィに拘る理由を聞かれた時、この2回です。

二度どちらも"”で囲われている

2回同じ台詞が登場したこと、さらに””で囲われていることから、重要な台詞であることは間違いありません。
また””で囲われていることから、元々ロー自身の台詞ではなく、誰かから聞いた言葉なのかもしれません。
もし、誰かから聞いたのだとすると、それはコラさん、コラソンから聞いたのでしょう。
ドフラミンゴはDかもしれない、と言われていることを考えると、その場合は弟のコラソンもまたDの一族と考えるのが妥当。
元々コラソンの台詞であり、ドフラミンゴとコラソンがDの一族の場合、コラソンは”嵐を呼ぶ”ことを目指していたのかもしれません。
そうであれば、「あの人の本懐」という台詞にも繋がります。

コラソンの本懐

しかし、ドフラミンゴとコラソンが”嵐を呼ぶ”ことを目指していて、それがコラソンの本懐であるならば、ローはルフィに肩入れするよりもドフラミンゴに強力すべきでしょう。
したがって、ドフラミンゴは”嵐を呼ぶ”ことを目指し、コラソンは”嵐を呼ぶ”ことを避けていた、もしくは別のDに託したかった。
意見の相違で、ドフラミンゴは弟のコラソンを殺し、ローはドフラミンゴに復讐を決め、コラソンの意思を都合とした。となれば辻褄が合いそうです。
ローがルフィに肩入れしている事を考えると、コラソンは別のDにより”嵐を呼ぶ”ことを目指していたと考えるのが自然です。
まとめると、
・コラソンは”Dはまた必ず嵐を呼ぶ”と考えていたが、そのDはドフラミンゴやコラソンではなく別にいると考えていた
・ドフラミンゴは自ら”嵐を呼ぶ”ことを目指して、意見が異なるコラソンを殺した
・ローは別のDにより”嵐を呼ぶ”ためにルフィに力を貸すことにした
という予想です。
ただし、ドフラミンゴはローに対しその行動は「逆恨み」だと言っています。

逆恨みとは?

逆恨みとはこのような意味です。
1 こちらが恨みに思っていいはずの人から逆に恨まれること。「―を受けるいわれはない」
2 人の好意を曲解して、逆に恨むこと。また、筋違いなことを理由に人を恨むこと。「親切のつもりが―される」
goo辞書 「デジタル大辞泉」
ただし、無関係の第三者への一方的な恨みも「逆恨み」とされる場合もありますが、本来の意味には含まれないそうです。
第三者が介在しないのであれば、
・ドフラミンゴがローを恨むべきなのに、ローが恨んでいる
・ドフラミンゴはローに対して親切のつもりで行った行動を曲解して恨んでいる
のどちらかになります。
ドフラミンゴがコラソンを殺したことを恨んでいると思われますが、それはローのためにコラソンを殺した、と言っているのでしょうか?
ドフラミンゴはローのために弟であるコラソンを殺したのだとしたら、なぜそれがローのためになるのでしょうか?
コラソンの本懐はローにとってよくない、という事でしょうか?だとすると、Dが呼ぶであろう嵐はローのためにならないということに。
つまり、
・コラソンは”Dはまた必ず嵐を呼ぶ”と考えていたが、ドフラミンゴはそれをよしとしない
・ドフラミンゴはDが呼ぶ嵐はローのためにならないと考え、コラソンを殺した
となりそうです。

まとめ

コラソンがドフラミンゴに殺された理由は”Dはまた必ず嵐を呼ぶ”からでしょう。
それはローの考えるコラソンの本懐で、ローはDが嵐を呼ぶことを望んでいる。一方でドフラミンゴはそれを逆恨みだと言っている。
ドフラミンゴはDが嵐を呼ぶことを望んでいない、のかもしれません。

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